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いう気力が次第に薄れてきているのだろうか。
第二次対戦後、アメリカが世界の盟主となり、敗戦国日本は屈辱的な為替レートに甘んじ、必死の思いで頑張ってきた。戦勝国は一時的ではあったにせよ、その恩恵を享受したのである。その結果が、アメリカ経済の低迷を招き、やれ、ダンピングだとかなどと、日本バッシングが横行した。自ら作ることをやめ、安価で性能の良い品物を購入することになれてしまうと、もはや、再びかつての状態に戻ることは容易なことではない。思い切った外科的療法が不可欠になる。生産性の向上を理由に、生産拠点を海外に移し、いわゆるドーナツ化現象が生じてしまった。そこにはもはや生産は消滅し、技術の伝承はなされない。しかし、現在では、アメリカにおいてもこの点が反省され、改善されつつある。国外に拠点を移した生産工場を再び取り戻す気運があり、労働市場が確保され、経済が活気を帯びてきている。
アメリカも日本も急激に変化しすぎたきらいがある。そして、ともに一時は頂点に達した。見かけだけであったかもしれないが、日本国民はみんなそう信じていたと思う。今でも、東南アジアの若者には日本は魅力的な隣国に写るであろう。そして、彼等の目標は、日本に追いつけ、追い越せである。東南アジアでセミナーを行うと、現地の若者は食い入るように話を聞いているし、質問は制限時間を無視して浴びせられる。このような貧欲さは、もはや日本人にはなくなってきているように思える。
調査とは直接関係はないのだが、調査初日、パリのシャルルドゴール空港に着いて、オスロヘ向かうため空港内を移動しているとき、突然、ポンと肩をたたかれた。友人の垂水正大君であった。全く奇遇である。彼とは修猷館高校の1年のときの同級生の間柄である。九大から入省し、航空局、海上保安庁、運輸局などの要職を歴任し、咋年退官した。彼は学士で入省していたが、私が9月に運輸省を受験したとき、運輸省の廊下で肩をたたかれた覚えがある。高校卒業後5年半を経ているのによくぞ覚えていてくれたものと嬉しかったことを覚えている。修猷館の同期で運輸省に入省したのは、彼の他に龍野君がいて、運政局次長である。在職中は折にふれてあって仕事のこと、仲間のことなど話したものである。垂水君は退官後、御夫妻でヨーロッパ旅行とのことであった。お互いに二人の生活を大切にしなければならない年頃になったことを教えられた。
技術調査ではあったが、今後の日本の行き方、一人一人の生き方を考えさせられた。

 

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